不動産実務検定ブログ

2025/05/15

『不動産広告の歴史を知る① 戦前~戦後復興期の不動産広告:原点と黎明期の物件宣伝』<第1回>

目次
  1. はじめに
  2. 戦前の不動産広告事情
    • 新聞広告と看板広告が主役
    • 郊外開発のはしりと「理想的な郊外生活」の訴求
  3. 戦後復興期:厳しい住宅不足と広告手法の模索
    • 新聞・チラシによる大量宣伝
    • 誇大表現や詐欺まがいの広告の台頭
  4. 当時の広告規制と現在との違い
    • まだ整備されていなかった法制度
    • 戦前~戦後の学びが後の規制強化につながる
  5. まとめ

1. はじめに
こんにちは、初めまして。北海道支部 胆振SG の川上です。

▼川上講師のプロフィールはこちら
https://www.j-rec.or.jp/koushi/show/294

この度はじめてのブログとなります。


私は不動産業を中心にいくつか事業を行っています。
その中の1社である株式会社RealtyBankでは、
不動産広告画像の編集を行っています。


その会社では2022年9月からデジタルステージングという
サービスを提供し、現在は全国1400社以上の方に
利用していただいております。


2022年から不動産広告をサービスとしてから
その歴史について興味が湧きまして、
自分なりにいろいろと調べてきました。


今回のブログでは、不動産広告の歴史について
少し共有したいと思います。


僕自身、不動産業界に携わって14年ほどになりますが、
知らない間にいろんな形で進化を遂げてきたんですよね。


不動産広告って、実はその時代ごとの社会や文化、
みんなの価値観まで映し出す“鏡”みたいな
存在だなあと感じてます。


そこで今回では、戦前から戦後復興期に至るまでを
ざっくりと見ていきましょう。


いわゆる「マイホーム神話」が生まれる以前、
そして終戦後の住宅不足の時代、
不動産広告はどんな感じだったのか。


ちょっとタイムスリップして、当時の様子を探っていきましょう。


2. 戦前の不動産広告事情

■ 新聞広告と看板広告が主役
戦前の日本では、今みたいなウェブサイトや
SNSなんて存在しません。


じゃあ当時はどこで不動産広告を目にしていたかと言うと、
メインは「新聞」と「看板」だったんです。


特に、商店や売家の前に「売家」と大きく書いた札を
掲げるとか、土地の境界付近に「絶賛分譲中!」
みたいな看板を立てるとか、そういう
超シンプルなスタイルが多かったようです。


新聞広告に関しても、やっぱり写真を載せられない
時代なので、活字中心の地味なものがほとんど。


でも、限られたスペースの中で
「最寄り馬車鉄道○○」「良好な水はけ」
みたいな魅力を訴求する工夫が見られたそうです。


最近だと「マンションポエム」なんて言葉があるように、
不動産広告はキャッチフレーズが命だったりしますが、
当時の“コピー”も結構面白かったんじゃないかと想像します。


■ 郊外開発のはしりと「理想的な郊外生活」の訴求
明治から大正、昭和初期にかけては、一部で都市郊外の
住宅地開発が進み始めました。


とくに有名なのは田園調布とか、目白文化村とか。


その頃から「ちょっと遠くても空気が綺麗で
静かなエリアで豊かに暮らそう」みたいな
コンセプトが生まれてたんですね。

不動産会社は新聞広告で「理想的な郊外生活」を
キーワードにした宣伝を打ち出していたそうです。


ただ、まだまだ一般の方には「郊外の広い土地で暮らす」
って発想自体が新鮮でしたし、車社会でもなかったので、
大半は都心部や繁華街に近いエリアが人気だったみたいです。


だからこそ、広告では「自然環境がいい」「都心から電車で○○分」
といったメリットを一生懸命に訴えていたようですね。


この辺りは現代の「駅徒歩○分」表記に通じるものがある気がします。


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本日はここまでです。

次回もお楽しみに!


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